もやし君の下位互換

私もやし君の下位互換!!

小学生の時のいじめっ子のもやし君、私と同じような境遇にあったらしい。家族が亡くなったり、家族に精神病のひとがいて、そのせいでぐれまくったみたい。

かわいそうなもやし君。私をストレスの吐口にすることしかできないかわいそうな人よ。

 

 

思い出すと、もやし君も私みたいに内気で陰気で自己主張がへたなガキだった。最初っからいじめっ子気質のあるガキじゃなかった。

小一の頃、私の家に電話をかけてきて「一緒に遊ぼう」と遊びに誘ってくれた。もやし君の家でマリオカートをした。

他の男の子ともやし君で、今日は誰が私と遊ぶか学校の前で小一時間喧嘩をしていた笑 懐かしい、ほんと笑える…。

もやし君のお兄さんとの喧嘩に負けて家の前の駐車場で泣いてたのも覚えている。二階からお兄さんが顔を出して笑っていたのも。

もやし君、無害でいいやつだったんだよね😢

 

 

小三のころ、給食のサラダのおかわりジャンケンをもやし君、私、そのほかのクラスメイトでした。もやしは負け私は勝った。

給食を食べ終わってからサラダを入れに行こう。と考えていたんだけど、もやし君がなぜかサラダをよそっていて、「ありがと」と私にぼそっと言って自分の席に戻っていった。

嫌な予感がしてサラダの入っているボウルを見たら空になっていた。

私がなかなかサラダをとりに行かないのを見て、私がもやしに譲ったと思い込んだみたい。もやし君は直接私に何も聞かない、何も言わない、ぼそっと言って人に伝えた気になっている自己主張のできない人だったの。

なんてやつ! と思ったけど、私も私で人に強く言えない主張のできない人だったので、先生にも言えずそのままにしてしまった。

 

 

主張はしないけど、その割には目立ちたがりだった。3日でハリーポッターの本を一冊読み切ったとか、よくどうでもいいことを成し遂げてクラスの中心になっていた。

小三の頃、クラスに「いいことシール」なるシステムができた。先生の手伝いをするとシールがもらえる。壁に掲示してあるシール表に貼ると、誰がどれほどいいことをしたか目に見えてわかるというやつ。

もやし君は積極的に先生を手伝って、クラス1シールを集めて先生に褒められていた。

私も人とのコミュニケーションがわからなくて、低学年の時は目立とうとしていた。目立つことがコミュニケーションだと思っていたから。

学校に祭りで捕まえた亀を持っていったり飼っているカタツムリを勝手に持ち込んだり。クラスメイトにもみくちゃにされて亀は弱り死んでった。本当にひどいことをしてしまった。

もやし君は正しいやり方で目立とうとしていた。そう、もやし君はいつも正しかった。

 

 

小さい頃から私は母親にとって気に食わないことを言うと、無視されるようなひどいコミュニケーションしかとってこれなかった。だから学校でも理不尽な目に遭っても言い返せずに黙ることしかできなかった。嫌われるのが怖いので人に言わせっぱなしだった。

そういう性格だったので、私に意地悪なことをしてくる他の子に便乗するようにして、私は小四の時はいびられまくって泣きまくっていた。

いちいち揚げ足をとってきたり、普通の人が気づかないようなどうでもいいことを指摘してきてクラスの子たちと私を笑うのだ。

祖母に三つ編みをしてもらったんだけど、ヘアゴムがゆるいからか、輪ゴムで縛ってから上にヘアゴムをかけていたみたい。

もやし君は私の欠点を見つけるのが好きで、そのことにもすぐ気づいて「この人輪ゴムで髪を縛ってる!!」とクラスのみんなと笑っていた。自分もびっくりした。自分の気づかないことをもやし君はすぐに気付くから怖かったな〜。

祖母から聞いた話によると、授業で手をあげる時ももやし君はやたら私の方を見ていたみたい。それで私はおそるおそる手をあげていたみたい。私は覚えてないけれど、とてつもないストレスを感じただろうね。かわいそうに、小四の私。

 

 

小四の担任の先生も新人で頼りなく、むしろグズグズしている私の方が問題児だと感じていたみたい。確かに自分の方にも問題はありまくりだったけど、だからと言って恐喝を許していいのかね😭

その先生が職場婚をした時は本当にむかついた。クラスを放っておいてあんたは何かまけているんだとイライラと不信感が募りに募った。

クラスメイトも私が嫌なやつ認定をしていた。もやし君たちのしていることは正当なことだと思っていたみたい。もやし君は堂々としていたからね。おどおどしていて都合が悪いとすぐに泣く私が嫌な奴になるのも仕方がない。

 

 

その時は補助の先生に少し助けられた。

ひょう柄の服を着ていたら、ある女の子Iさんから「豹柄とかださい!」と言われた。でも補助の先生は「豹柄の良さがわからないなんて、あなたがダサいんじゃない」と言い返してくれた。その言葉に本当に助けられた。

でも、その先生と適当にじゃれて遊んでた時に先生の手が私の腹に当たった時「あ、お腹でてる〜」みたいな失言をして気持ちの悪くて固まったことがあるので、いい先生だったとは言えないけど。どうでもいいけど…。

 

 

中学に上がって、他の小学校からきた不良と付き合い出すもやし君。

タバコも吸っていたみたいで、自転車で車道を蛇行運転。私よりも背は低いままだった。

中2で一緒のクラスになっちゃった😢

私要領が悪くて、何かの係でプリントを集めるときに、自分はこうこうしてくださいとクラスの人に効率の悪い指示をしてしまった。そしたらすかさずもやし君が「こうこうだと集めにくいでしょ。頭使ったほうがいいよ〜」と言われちゃった。先生も乗っかって「そうよ、賢く立ち回なさい」と笑って言ってきてクラスが笑ってしんどかったよ。

正論だけど、揚げ足をとる言い方を特にもやし君からされたのがきつかった。小学生の時は乱暴で脅すようなことをされたけど、側から見たらわかりにくいいじりやからかいを中学のときはされまくった。

なんかもやし君って、本当に私の母親にそっくりだったんだよね。人を馬鹿にして自分のことは棚に上げるの。笑い方も似てる。本当気持ち悪い。だから母親を無視するように自然ともやし君を無視するようになった。もやし君はそんな私を笑ってた。

 

 

中三の受験シーズンあたり、もやし君とは別クラスになった。

もやし君の素行はもっと悪くなった。ある時、もやし君が授業中逃げ出したみたいで、先生に引っ張られながら教室に戻されてたのを見た。もやし君はチビだったから抵抗しても力が弱いのか引きずられてて滑稽だったよ。

その時もやし君は「全部お前らが悪いんだ!」と泣き叫んだ。びっくりした。私の母親と同じことを言うんだもの。

私の母親も素行が悪くて、中学か高校の時に万引きをしたんだって。交番で泣いてた母親、引き取りに来た祖母と二人きりになると「全部お前が悪いんだ!」と激昂したんだって。寒気がした。

近くの席の男子がその様子を見て「あいつ頭おかしいわ」とひそひそ話してた。

そのとき、小学生の時に祖母から言われたことを思い出した。「いつかもやし君のような子の周りには人がいなくなる。みんな大人になるから」って。そんなの嘘だと思っていたけれど、本当にそうなっていて、そのことに今更気づいて衝撃を受けた。

もやし君の付き合いは不良の子達だけだったし。みんなから疎まれていたみたいだったし。人をいじめていた人はこうなるんだと初めて知った。

 

 

最近のもやし君はおとなしいみたい。仕事で忙しいのか同級生との交流はあまりないみたい。Twitterを本名でやっているからわかる…。

今は美容室で美容師をしているみたい…。その美容室はyoutubeチャンネルを設けていて、ニコニコしたもやし君もでてくる。もやし君の出ている回だけ低評価を押すねちっこくてつまらんことをしている…。

もやし君の家庭を知っているとはいえ嫌いなことには変わらない。もやし君の職をなくしてくださいと名も知らぬ神になんとなく祈ることしかできない。

私はもやし君の出来損ない。ああやって反抗して暴れることができる人は最後救われるのよ。母親も人に暴力を振るった末に夢の生活保護生活を送れるようになったんだから。もやし君は私の上位互換なんだ。

ほんといいご身分だね…うっう

 

 

理不尽の極みよ。もやし君のせいで馬鹿になってしまったけど、勉強を頑張ってきた。だけど結局全部なかったことになってしまったし、自分のやってきたことは全部無駄になってしまった。

人に迷惑をかけてきた人が結局誰かに助けられるんだ。中三の時の私の担任の先生はよくもやし君を気にかけていたし。私は先生に相談するも妄想扱いされて、耐えに耐え見事につぶれてしまったよ。

もやし君と話す機会があったらお金を請求しようと思う。通院費お薬代全部負担してもらうんだ…。

 

 

私もEちゃんから同じようなことを思われているんだろうな。

そう思われてしかたないよな。わかり合えないから仕方ない。ひどいことばかり言ってしまったし。

地元から離れて遠くで暮らしたい。もうEちゃんやもやし君たちの近くに住みたくない。

自分も自分でめんどくさい人間になってしまったので頼れる人はいないままかもしれないけど、嫌なこと全部忘れて細々と生きていたいな〜〜。