学校に行けない日

学校に行けない日は何もない場所をひたすら歩いていた。

毎日学校に行ける状態ではなかったが担任と家族に登校を強要されていて休めなかった。

家にいることも家族から許されていなかった。祖母が怒って私を無理やり外に出していた。それが嫌だったので学校に行くふりをしなければならなかった。

行く先もないし、どこかで何かをする気力もないからずっと一人で川沿いを歩いていた。気づいたら汐留とかにいた。

秋の雨の日は辛かった。

ちっさい折り畳み傘をさしていたけれど、川沿いは風が強くて横殴りの雨をモロに受け続けていた。

スカートは水を吸って冷たく重かった。靴も完全に濡れて中までズブズブ。中央大橋という橋の柱のそばは全然雨が降ってこなかったからしばらくそこに寄りかかっていた。

三、四時間歩き続けて足が棒になってたので帰りはいつも電車だった。

 

 

気づいたら銀座にいたこともあった。制服のまま伊勢丹の階段のところの椅子で弁当食べてた。

浅草が好きだった。浅草は何もないから遊びに行っていると思われることはないから。

浅草寺の敷地の石の上でずっと座っていた。修学旅行生で溢れていたので自分はその場に馴染むことができた。怪しまれないという意味で。

何度もあさくさりにいった。あさくさるは100年近く前の若者言葉で浅草で遊ぶことをいうらしい。銀ぶらと同じ感じ。どうでもいいが笑

他県の水族館に行ったこともある。制服のまま。

歩いているときは本当に辛かった。家に帰ったら怒られるとかl、また先生が単位の話をしてくるとか、ずっと考えていた。罪悪感と疲労でクタクタ。

 

 

いつのまにか真面目じゃない、学校をサボる人というレッテルを貼られて怠けだと思われ続けた。

登校を強制されるのが辛いから休んだことをサボりと言われて、さらに圧力が増して休むのを繰り返していただけ。

私も中途半端に学校に行かずにずっと休む勇気があったら良かった。

でもあの時の自分を責めることはできない。話すことができなかったから。授業で複数人のペアワークの時とかも自分から喋れなくてずっと黙り込んでた。

でも先生に声振り絞って休ませてと懇願しても先生は話を聞いてくれなかった。限界だったのに。

それに周囲の人は私が逃げられない状態だと思い込ませることに長けていた。通信高校の資料を捨てたり単位の話を何度もしてきた。サイコパスである…。

ノート取れない黙りこくってまともに話せない状態で迷惑をかけまくっている自分と、私の周りにいる人を止めてくれる誰かがいてくれたらよかったのに。

高二で進研模試のマークテストでまぐれで英語学年四位になってしまったことがあったのだけれど、あれのせいで勉強できるけど普段は怠けてる人と思われてしまったのかもしれない。あれはマークテストでたまたまあの状態の自分でも読める文章だったってだけ😭

入学した時から挙動不審だからこれが通常の状態だとも思われたかも。だから放置されたのかもしれない。異常事態が長く続くとそれがその人のデフォルトだと思われる現象をなんとかしたい党。

先生は私を高卒にすれば万事解決だと思っていたんでしょうね。あなたは勉強できるから〜予備校とかに行けば一人でどうにでもやっていけるでしょうって。

完全に心を折られて私は高校を想起させる本が読めなくなってしまいました。あの時の誰も話を聞いてくれない孤独感と母親にされたこと先生にされたことを思い出してしまうので😭

奇跡的に何も考えていない人たちに囲まれていたのでこうなってしまった。生来の環境と理解者って大切だ。自分の心が人並みに成長していれば、周囲に相談できなくて挙動不審なことをして孤立してああなることもなかっただろう。

高校の同窓会で私が名前を言ってはいけない人扱いをされていることを願う……。私という異常者を学校に登校させ続けたことを自分の教師人生の汚点だと思っていればいいのに。なんじゃそれ…

 

 

元気になったと思ったらまた体調がおかしくなった。外に出るとふらつきが。

社会性のある活動をする気力がないので家で家事して物を作っていた。家事手伝いってかんじだ…。

習作のつもりで一本のクソゲーの第一弾を完成させた。ちょっとしかないけどダラダラしてたから数ヶ月かかった。NPCが動いてマップを一緒に探索するゲーム。

何も考えずに作ったからやはりつまらない。考えていてもつまらない。ステップアップのためだと信じて意地でも作り続けるしかないんですけどね🤗

作っている間はきつい。コピペの作業がほとんどなんだが…。始めた物事はやはり完成させないと!という信念で無理やり完成させた。

めんどくさいことを素早くやり遂げる力を鍛えないと。幼少の頃からめんどくさい作業を適当にだらだらやってしまってばかりだったから今更感あるけれどもう少し鍛えないと…。